にんにくの種で思い出した。
中国のギョウザ事件があったのは、去年の1月、それ以降にんにくの相場が急騰した。
中国からにんにくの輸入が激減したからである。
まさに、にんにくパニックのようであった。
うなぎのぼりの相場、ついに6月には史上最高値がついた、
一番いいので1キロ5,500円、平均価格でも史上最高だった。
スポーツの記録はいつかは破られるが、おそらくこの記録は敗れまい。
その年の夏以降、にんにくの種の問い合わせが、多数寄せられた。
それも県外の、今までにんにくを栽培したことのない人から。
高値相場を見込んで、一獲千金を、と思ったのだろう。
「にんにくについて、聞きたいんですけど・・・」
「今は相場が高いけど、そのうち落ち着くよ・・・」
「にんにくって栽培はもちろん、乾燥、貯蔵もこうで・・・・たいへんですよ!・・・」
「だいいち、他では青森のようなにんにくは難しいですよ・・・」
「それに種の相場は・・・、1反当たり200キロは必要です・・・」
と、一通り概略を説明すると、みんな退散、次からは連絡は来なかった。
そうヤスヤスと出来るものではない。
だいいち「ときわのにんにく」がこれまでの産地になるまでの歴史と苦労は大変なもの。
幾多の苦難を乗越えてきた、先人たちの努力の積み重ねがあったからこそだ。
中国からの輸出攻勢による価格暴落、温風乾燥技術の確立
萌芽抑制剤の販売中止、乾燥貯蔵技術の確立、イモグサレセンチュウの被害克服
こういう苦難を乗越えて、今日の品質、生産量、消費者の信頼を
勝ち得ることが出来たのである。
農業はなまはんかな気持ちで出来るものではない。